「あざとくて何が悪いの?」っていう番組のCMを観て、「だよな、悪くないよな」って思う。
わたしは、「ぶりっこ」を十把一絡げに嫌うひとの気持ちがわからない。いわゆる「ぶりっこ」に対する脊髄反射的な拒否反応はない
つまり、自分のことを好きなぶりっこは好き。他人サゲでしか実現できないぶりっこをするひとは嫌い。
確かに、他人に媚びる行為をしておきながら、裏では裏切る行為をしていて、それで好かれていたら、「うわあ…」て思うよ。でもそれはもはや「あざとい」の域ではないし、「ぶりっこ」の「悪」の側面ではないんだよ。そういうの十把一絡げにして、「ぶりっこ=悪」とするのは短絡的だと思う。
自分のかわいさに向き合って、それを他者にアピールすること自体は何も悪くないだろ。自然体を装ってかわいさアピールすることがあざといんだと思うけど、それも他を傷つける行為ではないんだよね。
ぶりっこを脊髄反射的に嫌うひとって、自分はできないからこその妬みがあるんだと思う。
確かに、なかなかぶりっこなんかできないよな〜って思うし、ちょっとぶりっこして、受け入れてもらえなかった経験があれば、ぶりっこして喜ばれているひとがいると、自分が否定された気分にはなるよなあ。
だけどそれが他人の単なるぶりっこを否定する大義名分には到底ならない。
だから
ぶりっこ=叩いていい存在、悪
っていう単純な方程式は良くないなあと常々思う。