この記事を読んで、「おもしれー女」についてめちゃくちゃ考えてしまった
わたしは、「おもしれー女」はあくまでフィクションでしか成り立たない設定だなあと常々思ってるんですね(上記の記事も、各作品に登場してきた「おもしれー女」を考察している。)。
推しグルを追ってるとですね、各推しに対して「おもしれー女」枠をガチで狙ってる人が少なからずいて衝撃受けるんだよ
実際にさ、正攻法じゃ攻略できなそうだからって、「あんたにはなびかない!」みたいな、言っちゃえば突拍子もない女って、なろうとしてなるもんじゃないと思うんだよな…
ほんとになびくつもりがないなら、相手が関わってこない限り言う必要のない発言だからね…
つか「おもしれー女」という存在自体は好きなんだけど、「『おもしれー女』になろう」っていう発想が個人的に好きじゃない。
やっぱりこれも、相手を置き去りにしている発想な気がするんだよ。相手の感情を揺さぶることが目的でしょ、この手法は。真・おもしれー女は、そんな目的ないだろう、だからおもしれーんだし。
ほんとに相手を想うなら、相手が何を望むかを考えるんじゃないか?相手に印象を残そうとしか考えないのってかなりエゴイスティックだよ
たださ、相手が望む自分ばっかり追ってても、自己埋没してしまうから、自分が自分らしくいられる無理のない限りで、相手に何ができるかって考えた方が健康的な気がする。
自分を貫くってのは、ある側面からは、相手の期待を裏切る行為ともいえる。だけど、自分に対する相手の期待が予測できたとしても、「ノー」と言う権利はこちらにある。言い換えると、期待に応えることが目的にならないように気をつけてる。
人間関係において、自分らしくいられる状態でできる奉仕以上のものを求められたら、断るべきだと思っている。
そういった意味では、自分を大事にした「おもしれー女」ではいたいな、と思う